かつて 現佐久広域(県佐久合庁に属す地域)は 小諸市も北佐久郡小諸町、岩村田も浅間町として、現 浅間中、佐久東中地域を含め、軽井沢から立科の 横鳥村まですべて北佐久郡であり、現 中込中、野沢中から川上村まではすべて南佐久郡であった。両郡の真ん中をとって佐久市が誕生し、上小地域との境界までをまとめて小諸市が誕生した。昭和32・33年の合併を通して北佐久郡は軽井沢町、御代田町、浅科村、望月町、立科町、北御牧村の6ヶ町村となった。
茂田井は立科町にと合併を望む声の多い中、一部 本牧に近い地区は反対をし、激しい分町賛成反対闘争があり、望月町茂田井という地籍が残った。御代田町の小田井など佐久市や小諸市の境界線地域では分地区の歴史も少なくない。
平成16年・17年の合併により、北御牧村は東部町と東御市を 又 佐久市合併協議会に参加していた御代田町、浅科村は1年後 急きょ御代田町が抜け、大佐久市10万人都市構想が消えたかと思いきや 同様の人口1万人をもつ望月町が突然加わり、予定通り「10万人都市佐久市」は誕生した。望月がなくなり佐久市へ行くなら、この際 茂田井は1つになり立科にと望月町茂田井代表の家に集まったり、協議会に後から加わり条件が厳しくなるにつけ「これ以上要求されれば離脱する。その際は共に…」と立科町でトップ同志の集まりもあったが、議長会等議員間交流で即(合併推進派議長等)佐久市側に伝わり実を結ばなかった経過もある。(昭和の大合併の時のように むしろ旗に火を放つかどうかなどという茂田井の分町問題にはならなかったが、町民にとっては誠に半世紀に1度のチャンスを逸したともいえる。)
現在 自立を標榜し頑張る3町(軽井沢町、御代田町、立科町)が北佐久郡を成し、広域的には佐久市、小諸市と対等に「郡」として1行政体を継承している。又「郡」は飛び地であっても連合体として、1つの「市」と同様の役割を果たし、医療、福祉(当番医を含む包括医療も)、教育(学校・生徒・教育委員会のみならず、PTA・同窓会又スポーツ、音楽、文化活動等)、商工会、建設業、農業関係団体、消防団や交通安全協会など防災防犯組織や遺族会、一人親の会や文化・歴史行事を含め、従来通り人の交流が継続している。